競馬の話◆回想1998年秋(前編)


「助かった」
というのが、僕の勝手な感想でした。
サイレンススズカが非運に見舞われた翌週。アドマイヤベガ新馬戦で斜行。
鞍上の武豊騎手3週間の騎乗停止。

アドマイヤベガの父はサンデーサイレンス。そして母があの二冠馬ベガ。
お母さんのベガは僕の大好きな馬でした。スキッとした顔だちで、とても美人(馬)!
キャリア3戦目で桜花賞を勝ち、オークスも圧勝。

このオークスで、僕は初めて、調教師や厩務員や、その他馬に携わる人たちが、
どのような思いでレースを見つめているのか、少しだけ知ることできました。

ベガは御存じの通り、生まれつき前脚が曲っていてデビューも危ぶまれた馬です。
それにオークス。この頃、オークスは距離が長過ぎる、四歳牝馬にはキツすぎる、
2000メートルに短縮すべきだ、という話があちこちで持ち上がっていました。
オークス馬は、その過酷さ故に、その後のレースでなかなか活躍できないというのです。
メジロドーベルやエアグルーヴが活躍する前の話ですから、かなり説得力がありました。

そんなレースを前脚の曲ったベガが走って大丈夫なのか?!
そんな思いでレースを見ました。
勝負けではなく、馬のことを心配しながら、レースを見たのは初めてでした。
馬を育てている皆さんはいつもいつも、こういう気持ちでレースを見ているのでしょうね。
「無事に回ってきてくれればいいよ」
という台詞の重みが少しはわかった気がしました。
でもベガはというと、そんな心配をよそに桜花賞よりもさらに強い勝ち方で、
武豊騎手に初のオークスのタイトルをもたらしました。

その子がデビュー! しかもお父さんがサンデーサイレンスの男の子!
それを聞いただけで、胸踊った人は僕だけじゃないでしょう。
ベガの父はトニービンですから、もう夢の血統です!
そのアドマイヤベガが豪快に他馬を引き離しながら降着したニュースを見た時、
僕はこの馬が特別な使命を帯びて、ターフに姿を現わしたように思えてなりませんでした。

母ベガは、わが子アドマイヤベガに祈り、語りかけたのではないでしょうか?
「ユタカさんを助けてあげなさい!」
と。


回想1998年秋(後編)へつづく




戻りましょう