競馬の話◆回想1998年秋(後編)


騎手にとって、レース中に愛馬がアクシデントに見舞われて、命を落とすことほど、
ショックで辛いことはないでしょう。
しかも、そんな非運が、サイレンススズカのような特別な馬に訪れたとしたら。
武騎手の心中察するに余りある出来事でした。

そんな武騎手を背に、斜行して、さらに危ない目にあわせたわけですから、
アドマイヤベガも、ヒドイことをするものですね。
でも、あの斜行は、アドマイヤベガが武豊騎手に贈った、大きな大きなプレゼントだったと、
僕は信じています。
プレゼントとは、すなわち<休暇>です。
この時の武騎手にとって、3週間の<休暇>がどんなに重要だったか。
そう想像せずにはおれません。
まあ、元気な武騎手本人はとっては、騎乗停止のほうが辛かったかもしれませんが。
(後日知りましたが、実際あの騎乗停止は武騎手にとって僕の想像をはるかに超えるほど、
辛いものだったようです)

でも、競馬は「命がけですよ」って、武騎手も云ってます。
シーキングザパールなどを神業で乗りこなした武騎手にとっても、いや、
そういう騎手だからこそ、なにか危険なことが起きるとしたら、こういう時では。
文章に書くのもおぞましい予感。
アドマイヤベガはそんな心配を杞憂にしてくれました。

すべては僕の勝手な妄想なのですが。
でも、アドマイヤベガがデビューした、あのタイミング。何故あの日だったのでしょう?
そして血統。あのベガの子供だなんて。
しかもアドマイヤベガはサイレンススズカと同じ橋田満調教師の管理馬です。
本当に不思議な因縁を感じてなりません。

僕は、こうした因縁もあって、アドマイヤベガは凄い馬になると思ってました。
武豊騎手が、まだ手にしていないジャパンカップを勝つのは、この馬だと思ってました。
でも、それは<先輩>スペシャルウィークの役割でしたね。
秋の天皇賞の悲しい思い出も、スペシャルウィークが払拭してくれました。
アドマイヤベガは、日本ダービーを唯一のタイトルとして引退。
でも、アドマイヤベガが特別な使命を帯びてやってきた馬だったとしたら、
すなわち「ユタカを助けるため」にやってきた馬だとしたら、
日本ダービーだけ勝って去ってゆくのも小気味いいじゃないですか!

ありがとう、アドマイヤベガ。短い間だけど応援してて、とても楽しかった。
お母さんによろしくね!


<おわり>




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