競馬の話◆回想1991年秋


東京競馬場の第2コーナー手前のパトロール・フィルムが、繰り返し何度も放映された後、
掲示板の一番上の位置にプレクラスニーの馬番が上がって場内が騒然とする中、
審査委員の審問を受け終わって、ロッカールームに現れた武豊騎手の顔面蒼白となった姿は、
今でも脳裏に焼きついて忘れることができません。

秋の天皇賞、武豊騎乗の断然1番人気のメジロマックイーンは、
ぶっちぎりの独走で1位入線を果たしながら、斜行を理由に降着処分となったのです。
翌日のスポーツ新聞には「天才大失態」の文字が大きく踊りました。

それから4週間の後。
武豊騎手の騎乗停止明け最初の騎乗は、奇しくも東京競馬場でした。
当時すでに武騎手の大ファンだった僕は、これは何としても応援に行かねばならないと思って、
その日朝早くから東京競馬場のパドックにはりつきました。
僕は武騎手に対して観衆がどんな反応を示すか、とても不安でした。
ここは一つ最初に励ましの声をかけて、野次を封じ込めようと思って、その時を待ったのです。
ところが、どうもいけません。

その頃の僕は、自分自身についての自信というものを完全に失っていました。
大学を卒業して最初の秋を迎え、現状や将来への不安に押しつぶされそうになって、
日々悶々としていました。
どちらかというと、武騎手を励ますどころか、自分が誰かに喝を入れてもらったほうがいい、
そんな状況でした。
武騎手を励ましたい気持ちには何の偽りもありませんでしたが、
もしかしたら、そうすることによって、自分も立ち直れるかもしれない、
などと心のどこかで思って、その日東京競馬場へ行ったのかもしれません。

そうした中、いよいよ武騎手が姿を現わしました。周囲はシーンと静まりかえっています。
僕はというと、まったく声が出ません。
(パドック観戦者としては、とてもよいマナーといえますが)
静寂がもの凄い重圧となって押し寄せてきました。それを打ち破る勇気がないんです。
騎乗合図がかかりました。武騎手が徐々に僕のほうへと近づいてきます。
それでも僕は黙ったまま。
僕の中で情けない惨じめな気持ちが、みるみるうちに大きくなっていきました。
ふと見ると武騎手が目の前にいました。そして通り過ぎていきます。
「お前は馬鹿か」
僕は心の中で自分を罵りました。

とその時です。
僕の前にいた、お父さんにダッコされた3、4才の坊やが、
「ユタカ、頑張れー」
と云ったのです。

その坊やの「ユタ…」あたりのところで、何者かに突き動かされたように、
僕は口を開いていました。
気がつくと、
「ユタカ、頑張れっ!!」
と叫んでいました。

まったく格好の悪い話です。
僕の声で、坊やの可愛い声援の一部はかき消されてしまったことでしょう。
武騎手だって、僕のうわずった泣きそうな声よりも、可愛い坊やの声援のほうが
よっぽど嬉しかったに違いない。
その直後、周囲からは冷たい失笑がもれたように感じられましたが
(いま思うと単なる思い込みかもしれません)、
僕はとにかく、武騎手が地下通路へと姿を消すまでそこで待ち、
その後そそくさと東京競馬場を後にしました。

電車の中で僕は情けない気持ちで一杯になりました。
しかし、僕自身からすれば、一言も発することができなかったなら、
もっともっと惨めな気持ちになっていたことでしょう。
だから、あの坊やには「ごめんね」と「有難う」との両方の気持ちを抱いています。
もう、そのことを伝えることもできませんが。

後日、新聞に武騎手の「みんなとても暖かく迎えてくれました」とのコメントが
載っていたのを読んで、ほっと胸を撫でおろしたものです。

この話には後日談があるのですが、もうちょっとマシな話ですので、
気が向いたら読んでやって下さい。


回想1992年春に続く



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